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洋服屋のパラドックス
by TeamDice on 2021.2.3 Wed
はじめまして。藤と申します。フジではなくトウと読みます。今泉のダイスアンドダイスという洋服屋で店長をしております。
偉そうに店長などと申しておりますが、どこがどう店長なのかと聞かれると、ちょっと困ってしまうような、語呂だけで呼ばれているような、そういう店長です。つまりは、店に頻繁にいるただの男です。以後お見知り置きを。
こちらで何か書かせていただけるということになり、僭越ながら是非にと喜んでお受けした。
しかし、さて書こうと思うとなかなか進まない。書きたいことはあるのだけど、いろいろ難しく考えすぎて、何を書いたら良いのか分からなくなる。
いつも僕はこんな調子だ。何気なくさらっとこなせる人が羨ましい。
単純なことを複雑に考えて、しまいにどうしたら良いのか分からなくなる。
僕はこの面倒な性格のせいで、幾度となく人生の貴重な時間を無駄に消費し、できるはずだったことをみすみす見逃してきた。
柄にもなく難しい本を読んだり、答えのない考えことをしたり、頑張りたくて力みすぎたりした時は、ますます症状が酷くなる。
できる限り人には迷惑をかけないように、と心がけているのだが、肝心の接客中に急に発症しそうになり冷や汗をかくことがままある。
例えば、お客さんから「これは何色ですか?」と聞かれた時などだ。
当然答えは単純だ。お客さんは分かりにくい色合いの商品の正確な色を聞いているだけだ。他意はない。僕がとるべき行動はひとつ。お客さんの疑問を解消するべく、ただ下げ札に書いてある商品の色を読み上げるだけだ。
普段なら問題なくこなせるやり取りだが、タイミング悪く、昨晩読書がはかどってしまった。こういう時は変な感じになる。
「これは何色ですか?」
これは何色か。僕もお客さんも同じ色のものを見ているはずだ。僕の目にはどうやってもネイビーにしか見えない。しかし、それをあえて質問する。それには何か深い意味があるのではないか。確かに色の認識は難しい。お客さんがネイビーと呼ぶ色と、僕がネイビーと呼ぶ色が、同じ色だということを証明することは原理的にできない。僕の見ているネイビーは本当にネイビーなのか。本当の色とは何か。
「お客様は何色だと思いますか?」と、危うく逆に質問してしまいそうになり、すんでのところで堪える。額に浮いた冷や汗を拭いながら、下げ札に書いてある色を確認する。そこにはブラックと書いてある。あれ……。
それから「これ似合ってますか?」という質問も危険だ。
洋服屋を自称する以上、この質問は避けては通れない。何度も答えてきた質問だ。この場合は変に誤魔化さず、素直に似合っている場合は「お似合いですよ」そうでない場合は、同じような商品を比較できるように用意する。これ以上の返答を僕は知らない。
しかし、タイミング悪く「本当の色とは何か」という答えのない問いを考えている最中だ。例によって変な感じになる。
「これ似合ってますか?」
似合っている。似合っているとはなかなか曖昧な価値感だ。似合っているの定義とは何か。仮に似合っているという状態を、ブランドが提案するルックのような、モデルさんが着こなした状態のことを言うとしよう。とすると、大抵の人が似合っているとは言えないことになる。
「この服は大抵の人が似合いません」と、何かとんでもないことを口走りそうになり、すんでのところで口を閉じる。焦っている僕に「お兄さんそのシャツ似合ってますね」とお客さん。ありがとうございます。
もちろん、ここに書いたようなことは口には出さない。顔にも出さない。流石に僕でも、こんなことを言ってしまうとお客さんが困ってしまうことぐらいは承知している。
しかしごく稀に、言っても聞いてくれそうな感じのするお客さんがいる。何故だか分からないが、なんとなく感じるのだ。
そういう人に出会った時は、一か八か、意を決して、上に述べたようなことをそっくりそのまま言ってみる。
そうすると、僕のこういう困った性格を面白がって、また会いに来てくれることがある。
僕が常連さんと呼べるお客さんはそうやって出会った人がほとんどだ。
僕は洋服屋になって本当によかったと思う。なってなかったと思うと恐ろしい。
藤 雄紀