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秋なので秋刀魚の話

秋なので秋刀魚の話

by TeamDice on 2021.10.4 Mon

すっかり秋めいてきた。秋で思い出すのは秋刀魚。でもすこし前まで秋刀魚のこと、正直苦手でした。

秋刀魚ってとにかく食べづらいでしょう。身が小さいうえに小骨が多くて、しかも苦い腹わたのオプション付きときて、好んで食べる理由がひとつも見つからない。

腹わたに関しての余計な講釈も嫌だ。「秋刀魚は腹わたが旨いんだよ」という例のやつ。この手の話には、こういうことを言い出す輩が必ず現れる。

「たこ焼きは熱いぐらいがちょうどいい」とか「マッサージは痛いぐらいが気持ちいい」とかそういうの。一度冷静になって考えてみてほしい。矛盾してると思うんです。

考えてみれば秋刀魚という名前もなんとも厚かましい。偉そうに名前に秋を入れこんで秋の風物詩を自称している。ちょっとそれは反則なのではないか。

他の秋の風物詩たちを見てみると、栗とか柿とかキノコ類とか、地味だけどちゃんと自力で勝負しているじゃないか。

大御所の紅葉とか赤とんぼとかでさえ「赤いですよ」という、なんとなく色で秋を匂わせること止まり。秋葉とか秋とんぼとかいってもいいものなのに、他の者に気を遣ってちゃんと謙虚に振る舞っているというのに、ほんと秋刀魚のやつときたら。

そして去年の秋のこと、近所のスーパーへ晩ご飯の買い出しに出かけると、魚売り場の一番目立つところにずらーっと銀色の細長いのが横たわっているのが見えた。

その上には強調した文字で、今が旬、今が旬、今が旬、今が旬と、執拗に今が旬であることを訴えかけるポップが立っている。スーパーも秋刀魚のセルフプロデュース力になんとかあやかろうという魂胆らしい。

苦手な秋刀魚を買うはずもないので、「またやってるよ」と一瞥して通り過ぎようとしたのだが、なんとなくこころの奥がざわついた。

なんかこの感じって、観てもいない映画の悪口を言うやつと同じ感じじゃないか。それってすごくカッコ悪いことかも。と急に心配になってきた。

実家にいる頃は、年に一度ぐらいのペースで食卓に並んでいた秋刀魚。だが自活しだしてから十何年、自分で秋刀魚を買ったことも、食べたこともなかった。

こんな変な後ろめたさを背負って生きていくのは嫌なので、思い切ってその日の晩は秋刀魚にすることにした。せっかく食べるのだったら、正々堂々といきたいので、大根とカボスも一緒に買って帰る。

食べ方は塩焼き。ちゃんと焼き方を調べて、グリルを予熱している間に、念のため骨の外し方まで調べておいた。調べた通りに下ごしらえをして網に乗せグリルに入れる。時折バチバチと弾ける音がする。グリルの小窓から中を覗くと、なんかいい感じで焼けてそうだ。

所定の時間が経ったのでグリルを開けると、いい匂いが立ちこめた。焼け上がった秋刀魚を崩れないように箸で挟んで皿にのせ大根おろしとカボスを添えて急いで食卓に運ぶ。

目の前の秋刀魚はまだぐつぐつしていて、明らかに脂が乗っているのがわかる。これはひょっとして旨いのではなかろうか。いや騙されてはいけない。身をほぐすと小骨びっしりと苦い腹わたが待っているのだ。

先程調べておいた通りに骨を外してみるとびっくり。なんと、太い背骨にくっついて小骨も全部するすると外れてしまった。

綺麗に身だけ残ったところへ、じゅっとカボスを絞って大根おろしを乗せてかぶりつく。カボスの爽やかな香りと秋刀魚の旨味が口の中一面に広がる。腹わたは苦いには苦い。でもなんか嫌じゃない。むしろこれが旨いかも。

口の中に味わいが残るうちに、コップのお酒を一口飲む。全て僕が間違っていた。なんというかとても幸せだ。

こうして去年の秋から、秋刀魚好きに華麗な転向を遂げた僕。今年は秋のうちに何回秋刀魚が食べられるだろうというぐらいの意気込みだ。

先日妻が腹わたを残そうとしていたので、すかさず奪い取って「もったいない、秋刀魚はここが旨いのに」と早速言ってやりました。

この件で自分が全然信用できなくなっているので、今は苦手なものを克服するブーム到来中。パクチーとぬか漬けが目下の目標。「パクチーが無けりゃ」とか講釈たれ出す日もそう遠くないと思われます。

藤雄紀

Writer
Team Dice

ダイスアンドダイス スタッフ