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「エモい」の定義

「エモい」の定義

by EtoKatagiri on 2022.3.8 Tue

だんだんと春めいてきましたね。春と言えば出会いと別れ。ピンクや黄色の花がやたら咲き乱れ、根拠のないワクワクに心を躍らせ、浮ついた人が増える季節です。そんな春の空気感を総称して「エモい」と表現する方もいらっしゃるのではないでしょうか。

近年「エモい」があらゆる物事の判断基準になっている気がします。私の世代の辞書にはなかったフレーズですので、初めて会話に登場した時には、ふんわりと笑みをたたえて無言でその場をやり過ごし、一人になった瞬間にググったものです。皆様の会話の流れから、どうせ“夕日の中で切ない顔した女子高生をインスタントカメラで撮ったやつ”みたいなことでしょ、と雑に解釈していたのですが、Wikipediaによると「『感情が揺さぶられた時や、気持ちをストレートに表現できない時』『哀愁を帯びた様』『趣がある』『グッとくる』などに用いられる」とあり、ならもう何でもいいやんけとなりました。

実際、日常会話においては「エモい」と言っておけば大体のことは丸くおさまります。さらに最近ではクリエイティブな案件においても「エモ至上主義」が横行し、本質や技術、意図が備わっていなくとも、ムードがありさえすればいいという場面に出くわすことが増えました。それがいいか悪いか決めるほど私は大御所ではないので、せめて自分の中の「エモい」の定義だけはブレないようにしたいと思っています。

私と何度か食事をしたことのある方にはわかっていただけると思いますが、私の注文した料理には毛が入っている率が高めです。かつその内の4割が陰毛です。毛が抜けるのは生理現象ですし、あいつの顔ムカつくから髪の毛入れといてやるかみたいな店員さんはおそらくあまりいないでしょうから、仕方がないことだと割り切ってはいます。が、下の毛が料理に入るというのはどういったからくりなのか、いまいち解せません。髪でもじゅうぶん不快なのに、チリチリの陰毛をある程度食べ進めた段階で発見した時のホラー感といったら。

昔、とあるカレー屋でランチを頼んだところ、欲しくもないミニケーキが付いてきて、半分ほど食べ終えたところでスポンジケーキと生クリームの境目に陰毛を発見しました。自分で欲したならまだしも、勝手にサービスで出してきたデザートに陰毛が混入しているなんて。さらにそこは小さな店で、強面の男店主が一人で切り盛りしていたため、彼のものであることは明白でした。肉体関係も持っていない男の陰毛が、その人のものとわかる状態で目の前にあることが何だか不思議で、あの顔でこの感じなのか、などと考えているとクレームを言う気力も失せてしまい、虚ろな表情で店を後にしました。数ある混入事件の中でもあのカレー屋を覚えているのは、「〇〇さんのじゃがいも」などと生産者の名前が書かれた野菜に安心と付加価値を感じるように、出自がわかることで特別な陰毛として私の記憶に刻まれたからです。

そしてつい先日、とある天ぷら屋でランチを食べることになり、店員さんに食券を渡したらまずトイレに行こうと思っていたところ、同じタイミングで入店したギャル二人の片割れが先に入ってしまいました。くそ~ギャルめ、まあ後でいいかと、あらかじめ小皿に盛った状態でテーブルにセッティングされていたサービスの塩辛をつまんでいると、奥の方で陰毛がイカと絡んでいました。はいはい別に頼んでないのにね、これは漬けた段階か盛った段階かどっちの混入ですかね、などとイライラしながら塩辛の小皿を脇に追いやり、気を取り直してトイレに行くと、便座に陰毛が落ちていました。私はトイレに続く通路沿いのカウンターで食事をしており、他に通った人はいませんでしたから、あのギャルのものであることは明白です。塩辛のダメージを引きずっていたため一瞬泣きたくなりましたが、あの顔でこの感じなのか、と便座に情けなく横たわる陰毛を眺めていると穏やかな気持ちになり、ソバージュのように縮れたその波間からは哀愁すら漂い始めました。あんな金髪に染めてギャルっぽくしてるのに、陰毛を見ず知らずの私に見られるという失態を犯し、かつそれに気づかず店内でガールズトークに花を咲かせているなんて。試合には負けたが勝負には勝ったような、何とも言えない優越感に浸っていると、ああ、これが「エモい」ということか、と腑に落ちたのでした。

カレー屋の店主の陰毛を見た時。天ぷら屋でギャルの陰毛を見た時。どちらも、Wikipediaにある「感情が揺さぶられた時や、気持ちをストレートに表現できない時」「哀愁を帯びた様」「趣がある」「グッとくる」が全て当てはまります。私にとって「エモい」とは「夕日の中で切ない顔した女子高生をインスタントカメラで撮ったやつ」ではなく「出自のわかる陰毛を見た時のような気持ち」なのです。今後万が一、周囲に流されて調子に乗った感じで「エモい」を使ってしまったとしても、一旦目を閉じてあのソバージュ感を思い出し、的確な表現に言い直すようにすると誓います。もし私がうっかりその作業を忘れていたら頬をひっぱたいてくれるよう、家族や友人にもきつく言っておきます。「エモい」感じでお願い、とライティングの依頼を受けたなら、きっと出自のわかる陰毛を見た時のシーンが浮かぶような文章になるでしょう。しかし私は決して自分の「エモい」を人に強要はしません。共通認識など「エモい」にはむしろ必要ないのかもしれません。そうして人それぞれの「エモい」がどんどん生まれていけば、表現活動ももっと豊かになることでしょう。

Writer
片桐 絵都

ライター